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東京地方裁判所 昭和47年(ワ)7939号 判決 1976年5月14日

原告 田中重五

右訴訟代理人弁護士 板倉貫

被告 清水孝

右訴訟代理人弁護士 深沢守

同 船崎隆夫

同 大内圀子

主文

一  被告は原告に対し金三六〇万円およびこれに対する昭和四七年一〇月四日から支払ずみまで年五分の金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主文第一、二項同旨

2  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は昭和四七年二月一四日、被告に対し原告所有の東京都練馬区大泉学園町五四四三番一、同番一二、同番一四所在の宅地合計約三三〇平方メートル(以下本件土地という)を代金一八〇〇万円、支払期日同年三月二二日と定めて売り渡す旨約した(以下本件売買という)。そしてそのさい手付金の授受は全くなかった。

2  ところが被告は右期日までに右代金を支払わなかったので、原告と被告との間で同年四月六日、東京都千代田区永田町二丁目四番三号所在林業信用基金理事長室(原告は同理事長、以下基金理事長室という)において、前記支払期日を同月二一日まで延期し、被告において原告に対しもし右期日に代金を支払えなかった場合には違約金として三六〇万円を支払う旨合意され、被告は原告に対しその旨の念書(甲第二号証)を差入れた。

3(一)  しかるに再び被告が同月二一日までに前記代金を支払わなかったので、原告は右同日被告に対し再び支払期日を延期することを認め、両者間において次のとおり約定され、その覚書が作成された。

(1) 同年五月二三日前記代金全額一八〇〇万円を支払う。

(2) 右全額を支払えないときは、同日、内金として八〇〇万円を支払い、残金は六月末までに支払う。

(3) 右(2)の約定を履行できなかった場合は、四月六日の約定に従う。

(二)  そして右(3)項は前記2の事実に徴し、前記三六〇万円の違約金支払の趣旨であること明らかである。

4  原告は代金全額の支払いと引換えに所有権移転登記手続に協力するつもりで、いつでも登記手続をする準備を整えていたが、右各支払期日到来前に、被告から約定の支払期日には支払えない旨の連絡があったため、現実に登記申請手続に協力するには至らなかったものである。

5  そして被告は今に至るも右代金を全く支払わない。

よって、原告は被告に対し右違約金三六〇万円およびこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和四七年一〇月四日から支払ずみまで民事法定利率年五分の遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。ただし、本件売買成立の際、被告は原告に対し手付金一〇〇万円を交付している。

2  同2の事実中、被告が支払期日までに売買代金を支払わなかった事実は認めるが、その余の事実は否認する。被告は、原告が基金理事長室で面会したと主張する昭和四七年四月六日には長野県佐久市浅間町(実母清水フミ方)に滞在中であった。また前記の手付金交付の事実からしても、新たに違約金契約を締結するなどとは到底考えられない。

3  同3の事実中、被告が前記代金を支払わなかった事実および被告が四月二一日原告に面会した事実は認めるが、その余の事実は否認する。これよりさき被告は三月二二日、原告との間で前記残代金の支払期日を右四月二一日まで延期する、右四月二一日までに残代金の支払ができないときは被告において前記手付金一〇〇万円を違約金として放棄する旨合意されたところ、被告は右四月二一日、それまでに資金の調達ができなかったので、原告に対して右違約をわびて前記手付金を放棄したものである。

4  同4の事実は不知。

5  同5の事実は認める。ただし手付金を支払ったこと前記のとおりである。

三  抗弁

1  被告が四月二一日に、原告に対してその主張のように約したとしても、被告は同月六日に前記のように違約金の約定をしたことはないので、請求原因3(一)(3)記載の「四月六日の約定」というのが違約金支払の約定であることを全く知らず別の意味で約定したものである。したがって被告の右意思表示は、その重要な部分に右に述べたような錯誤があるから無効である。

2  本件違約金契約は損害賠償額の予定と解すべきところ、原告は被告の代金債務不履行により何らの損害も蒙っていない。損害が発生していない以上、被告が賠償額の予定に従って賠償義務を負うべきいわれはない。

四  抗弁に対する認否

いずれも否認する。

第三証拠≪省略≫

理由

一  本件売買が原、被告間に成立したことは当事者間に争いがない。

二  被告は本件売買契約の際、原告に対し、手付金一〇〇万円を交付したと主張し、かりに右の交付があったとすると、≪証拠省略≫によれば、本件売買における手付は違約金を兼ねる手付であると認めることができるので、まず右手付金の交付の点につき判断する。

右一の事実、≪証拠省略≫によれば、原告と被告とは、昭和四七年二月一二日、東京駅八重洲口にある国際観光ホテルにおいて面談し、本件売買の大筋についての合意が成立したこと、その際被告は手付金授受の話を持ち出したが、原告はその必要がないと断わったこと、被告は同月一四日基金理事長室に原告を訪ね、予め被告が作成してきた二通の契約書につき原告の署名押印を求めたこと、右二通の契約書は、市販の契約書用紙に、ボールペンと複写用炭酸カーボンを用いて記入・作成されたものであって、記入された文言は、手付金欄、残代金欄を除いてまったく同一であったこと、うち一通については手付金欄は空欄で、残代金は一八〇〇万円である旨記載されていた(甲第一号証の一、以下甲契約書という)が、他の一通には手付金一〇〇万円の授受がなされ、残代金額が一七〇〇万円である旨記載されていた(乙第一号証、以下乙契約書という)こと、そして原告は、甲契約書を上に乙契約書を下にして複写用炭酸カーボンを挾み甲契約書にボールペンで署名したこと、その際、原告は被告から右のように重ねられて原告の面前に置かれた甲契約書と乙契約書の文言が全く同一であると信じていたため、特に甲契約書をめくって乙契約書の文言を確かめることなく、甲契約書の文言のみを確認したにすぎなかったこと、さらに原告は右署名の際、本件土地の表示のうち地番に枝番を付加し、地積の表示に「約」の文言を挿入したが、契約日の訂正、原告名下の押印、印紙の消印、捨印は被告の雇員である東茂こと東迫茂に委ねたこと、そして甲契約書を原告が、乙契約書を被告がそれぞれ所持して、ここに原被告間に本件売買が成立したこと以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

右認定事実に照らすと乙第一号証のうち手付金授受および残代金の各記載部分は原告の意思に基いて真正に成立したものと認めることはできず、また手付金を交付した旨の被告本人の供述はたやすく信用することはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

かえって、前認定の用に供した各証拠によると、本件売買については原被告間に手付金の授受は全くなかったことが認められ、≪証拠省略≫中、右認定に反する部分は信用できないし、前示のような次第で乙第一号証によっては右認定を左右するに足らず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

三  右二において認定した事実に≪証拠省略≫を総合すると、請求原因2の事実(四月六日付の違約金三六〇万円支払の合意)を認めることができ、≪証拠省略≫中、右認定に反する部分は信用できないし、前示のような次第で乙第一号証によっては右認定を左右するに足らず他に右認定を左右するに足る証拠はない。

弁論の全趣旨によると甲第二号証の被告署名部分は原告の筆跡であること、被告名下の印影もいわゆる三文判によるものであることが認められるが、≪証拠省略≫によれば、被告は日頃から三文判を用いることがあったことが認められ、この事実と≪証拠省略≫ならびに前認定の二の事実を総合すると、甲第二号証は被告の意思に基き真正に作成されたものと認めることができ(る。)≪証拠判断省略≫

四  前示一の事実、前認定の二、三の事実と≪証拠省略≫によると請求原因3(一)の各事実が認められ、右認定の事実と前認定の二、三の事実および≪証拠省略≫によると請求原因3(一)の(3)にいう「四月六日の約定」とは前認定の違約金として三六〇万円を支払う約定であることが認められる(。)≪証拠判断省略≫

なお、被告は、被告が三月二二日、原告との間で四月二一日まで残代金の支払期日を延期する、右四月二一日の期日までに残代金の支払ができないときは被告において手付金一〇〇万円を違約として放棄する旨合意されたところ、被告は右四月二一日、それまでに資金の調達ができなかったので、原告に対して右違約をわびて右手付金を放棄した旨主張し、≪証拠省略≫中には被告の右主張にそう部分があるけれども、右部分は前認定の二の事実、≪証拠省略≫に照らし信用できないし、前示のような次第で乙第一号証によっては被告の右主張事実を認めることはできないし、他に被告の右主張事実を認めるに足る証拠はない。

五  抗弁1について

抗弁1の趣旨は必ずしも明解でないばかりでなく、昭和四七年四月六日に原告と被告が面談し違約金の約定を締結したことは前記三認定のとおりであって、≪証拠省略≫中、被告の抗弁1のような主張にそう部分はたやすく信用することができず、他に被告の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

六  被告の債務不履行について

前掲甲第一号証によれば、本件売買における被告の代金支払義務および原告の所有権移転登記義務は、昭和四七年三月二二日に同時に履行すべきものと定められていたことを認めることができる。

およそ双務契約において、双方当事者の債務が同時履行の関係に立つ場合においては、原則として、一方の債務は他方の債務につき履行の提供がないかぎり、履行遅滞に陥ることはなく、ただ、一方の当事者がその債務の履行をする意思を明確にしている場合など、相手方がその債務につき履行の提供をしないことを理由として、履行遅滞の責任を免れ得るとすることが公平則・信義則から見て許されないと認められるような特段の事情がある場合に限って、一方当事者の債務は相手方債務者の債務につき履行の提供がない場合でも、履行期の徒過とともに履行遅滞に陥いるものと解するのが相当である。

そこでこの見地から、本件についてこれを見ると、原告の登記債務の提供については(現実の提供はもちろん口頭の提供についても)何らの主張、立証もない。

しかしながら、前示一の事実、≪証拠省略≫によれば、被告は本件土地の南側隣接地にアパート建築を仲介し、事実上実権を握って建築の采配をふるっていた不動産業者であること、右アパート建築が建ぺい率および本件土地との距離の不足から、昭和四六年五月一三日付で練馬区役所による工事停止命令を受けたこと、このため被告としては本件土地を賃借するか買い受けることにより右工事停止命令の解除を受ける必要に迫られていたこと、右の事情から被告は原告と本件土地の売買について交渉をするようになったこと、もともと被告は手付金を交付したようにして、違約のさいには手付金放棄の方法により損害金の支払を免れんがため前記のように乙第一号証にのみ手付金を交付したかのような記載をしたところ、昭和四七年二月一四日本件売買が成立するや、翌一五日、被告は契約書(前記乙契約書の写)を練馬区役所に提出し右工事停止命令の解除を受けていること、被告は、遅くとも同年三月二八日までには本件土地のうち、南側隣接地から幅約三メートルの部分を有刺鉄線で同隣接地側に囲い込み、あたかも当該部分が同隣接地の一部であるかの如くみせかけていたこと、本件売買における代金支払および所有権移転登記手続の履行期日は同年三月二二日であったが、被告が代金を調達できないという理由で、被告の懇請により前記三、四認定のとおり履行期日が二度にわたって延期されていること、最初の履行期日の前日である同年三月二一日に被告は原告に対し、予め翌日の代金支払は不可能である旨電話で述べていること、第二回目の履行期日とされた同年四月二一日においても、被告が代金を調達できないという理由から再び履行期日が延期されたこと、最終的な履行期日とされた同年五月二三日の前日にも、原告は被告に電話をかけ代金支払ができるかどうか確認したが、やはり代金支払はできないと言われたこと、右のような被告の態度に鑑み、原告としては、被告は単に工事停止処分を解除してもらうためだけに本件売買契約を締結したにすぎず、真実、履行する意思も能力もないのではないかという被告に対する不信感が徐々に濃厚になってきたこと、このような経過の間、原告はもちろん被告も、原告の登記義務の履行については特に問題とした形跡がないこと、そして被告は原告に対して今に至るも本件売買代金を全く支払っていないこと以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

右認定の事実によれば、本件売買は被告側の必要を発端とし被告は既に本件売買による利益を享受しているにもかかわらず、代金を調達できないという専ら被告側の事情により被告の懇請のもとに二度にわたって履行期日が延期された挙句最終的な履行期の前日に至っても代金支払ができない旨通告を受けたというのであるから、原告がもはや被告には代金支払の意思も能力もないと考えたことは、まことに無理からぬところであるというほかはない。

また前記認定の各事実と弁論の全趣旨を総合すると、原告としては、右各履行期日において、被告から代金の支払があり次第いつでも被告に対し所有権移転登記申請手続に協力する準備が整っていたことを認めることができこれを左右するに足る証拠はない。

かかる事情のもとにおいて、原告が自己の登記義務につき口頭の提供もしなかったとの一事をもって、被告がその代金債務につき遅滞の責めを免れうるとすることは、信義則・公平則の観点から許されないというべきである。されば本件においては前記特段の事由があると解せられるから、被告は、最終的に少なくとも内金八〇〇万円を支払うべき日であると定められた昭和四七年五月二三日の経過により、代金債務につき遅滞に陥ったものと解するのが相当である。

七  抗弁2について

本件の違約金の約定については、違約罰であると認めるに足りる証拠はないから損害賠償の予定であると推定すべきことは被告主張のとおりである。しかしながら、損害賠償の予定をなす当事者の意思は、特段の事情のないかぎり、責めに帰すべき事由の有無ならびに損害の有無および額につき一切の紛争を避ける趣旨であると解すべきところ(民法四二〇条参照)、本件においては右特段の事情を認めるに足りる証拠はないから、被告において実際の損害が絶無であることを立証しても賠償責任(違約金を支払うべき責任)を免れることはできないというべきである。したがって、抗弁2の主張も理由がない。

八  結論

以上の次第であるから、被告は原告に対して前記違約金三六〇万円およびこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日であることが本件記録上明らかな昭和四七年一〇月四日から支払ずみまで民事法定利率年五分の遅延損害金を支払うべき義務がある。

よって、原告の本訴請求はすべて理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 柏原允)

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